タイミングとは「縁」である
今日はちょっとした機会をいただいて、亡くなった父の思い出にどっぷりはまる一日でした。
これまで、何度も来てもよかったはずのこの機会がなぜ「今日」だったのか。
一緒にどっぷりはまった母を見て、そんなことまで考えたくなるような一日。
タイミングとは縁であり、
くるべくしてくるものなのだと改めて感じるくらい、
「今日」の意味を、こうして綴りながら考えたいなと思います。
「父」という人
「あなたのお父さんはどんな人ですか?」
と聞かれたら、皆さんはどう答えるでしょうか?
私が真っ先に思い浮かべるのは
「スイカを切ったら一番はじめに真ん中を取る人」笑
子どもたちがいても、それは変わらなかったそうです。
父は10年前に癌で亡くなりました。64歳。
あの日のことは今でも昨日のことのように思い出すことができます。
スイカは一番に真ん中を取るくせに
残された私たちが後悔しないよう、母と弟二人と私と。
5人の時間を最期にたくさん残してくれました。
おかげで私たちは、父のそばで思い出話をたくさんしながら夜を過ごし、
葬儀の準備も、各所への連絡もみんなで力を合わせて滞りなくすることができました。
北海道生まれの父らしく大雪の日に病院から帰り
遺影の写真がなかなか決まらず画像編集でおかしな顔になった父を
みんなで泣き笑いしながら決めたあの日。
本当にたくさんの方々が来てくださったお通夜では
仕事一筋だった父の退職後を心配していた周りを横目に、
地域のためにと尽力していた父を誇らしく感じたりもしました。
葬儀が終わり、静岡に戻ってからも
富士山を見ては泣き、
似た人を見ては泣き。
あんなにも理解できずに苦しかったことが嘘のように
寂しかったなぁ。
生きてるうちに親孝行できなくてごめんね。
あれから10年。
弟が本当に笑えるほど父に似てきていて。
年月の流れを感じます。
今日、母と二人で父の足跡をたどりながら感じたのは
心から母を愛し、心から子どもたちを想ってくれていたんだな、ということでした。
もし私がもっと早くからコーチングコミュニケーションを学んでいたら
父ともっと話せていただろうか。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でも、一つ言えることは
「今日」感じたたくさんのことは
「私のこれから」にとって間違いなく糧になる、ということ。
そうやって父は私にとって、亡くなった後も
たくさんのことを教えてくれる人なのです。
「これから」を考える前に
私は目標達成サポートのプロです。
ということは、私自身の目標達成に向けての在り方が問われている、ということ。
そういう意味でいえば、今日一つ、心から理解できたことがあります。
それは、
「自分自身のこれまで」にきちんと向き合い、感謝することが目標達成に大きく関わる
ということ。
父の足跡を辿って見えてきたのは、父の父母、つまり私の祖父母の想い。
祖母は父の母子手帳や各学校の通知表まできちんと残してくれていて、祖父は実家の土地の何割かを父との共同所有者になっていました。
他にも、父と母の結婚式の台本が出てきたり、私たちが生まれた時に母方の祖父が書いてくれた命名書、運動会で父が私をおんぶして楽しそうに走っているところ。
担任の先生や職場の研修教官からの手紙。
どれも想いに溢れ、胸が熱くなるものばかりでした。
私たちが「目標を持って進みたい」と感じるベースには、私たちを想ってくれていたたくさんの人たちの気持ちが詰まっていて。
その想いを再認識できたことは、これからの私たちにとって、温かく、心強いお守りになってくれるはずです。
そうしてたくさんの人たちが想ってくれた私たちには
「絶対に辿り着きたい」と思うゴールに辿り着けるチカラがある。
そんなふうに感じたりもするのです。
私たちは時に、そのチカラに不安を感じてしまったりするけれど。
そんな時こそ丁寧に、過去を振り返る時間が必要なのかもしれませんね。