
「人は変わらないから、自分が変わらないとね」
こうお話される方、よくいらっしゃいますね。
この言葉を皆さんはどんなふうに感じるでしょうか?
私は、半分は、その通りだなと思います。
実際、私もこれまでの人生の中でたくさん感じたことでもあり、
たくさん見聞きした言葉でもありますから。
ただ私は、この言葉を嬉々として、楽しい話題の時に聞いた記憶はありませんし、
自分が使うときは、
半分諦めに近い感情で、「こうしなきゃ私の身がもたないわ」的な想いを込めて口にすることが多かった気がしています。
特に、「自分と感覚の違う人」「自分と価値観の違う人」と関わらなければならない時にそう感じていました。
一方で、トラストコーチングでもお伝えする
「アサーティブネス」という言葉がもっともっと一般的になったら、
もしかしたら少し言葉が変わってくるのではないかと感じます。
「人は変わらない」は本当か?
これは本当だと、私は思っています。
というか人を変える必要はないし、それと同じように、自分も変わる必要はないと思うようになりました。
「変えようとするから」そう感じるのかもしれませんね。
もしくは、「相手が自分の価値観の枠にはまらない時」にそう感じることが多いのかもしれません。
人は、生きていく中でたくさんの「自分専用の鎧」を身につけていきます。
これは、自分を守るための鎧。
自分らしさ、とも言えますし、もしかしたら脱ぎ捨てたいと思う部分もあるかもしれませんね。
ただこれに、良い・悪いはないはずです。
例えば白いご飯が好きな人が、パンを好きな人を「悪い人」と言わないのと同じように。
ただ、関係が近ければ近いほど、心に余裕がない時ほど、「その人専用の鎧」を「自分専用の鎧」と比べて「良い・悪い」というジャッジをしてしまいます。
そして「自分専用の鎧」にその人が入れない時にエラーが起こるわけです。
自分の「自分らしさ」知っていますか?
コーチングを学ぶ前の私も例外なくそうでしたが、人はわりと
自分のことを知らない
生き物なのかもしれないな、と感じることが多くなりました。
特に自己肯定感の低い日本人は、自分の「自分らしさ」を知らない人が多い気がします。
謙遜する文化が根付く日本では、褒められても
「そんなことないよ〜!」なんて否定してしまったりしませんか?
せっかく相手の方が感じてくださったその想いを、今はありがたく受け取ろうと私は決めています。
お相手の方の想いを否定することになることもあるかもしれないからです。
電車の中で席を譲って、「大丈夫です」と断られたときみたいに。
少し話がずれましたが、もしかしたら日本人は、
「自分のことを知る」ことをあまりせずに生きている人が多いのかもしれません。
自分のことを知るとどうなる?
自分のことを、良いと感じる面も、悪いと感じる面も、知ることを
「自分の現在地を知る」
なんていう言葉でも表現されますね。
「自分専用の鎧」がどんな形をしているのか?どんな色なのか?誰に対して、どんなふうに変わるのか?その形や色は、自分のどんな人生によってそうなったのか?
そんなことを考えながら
まず、自分を知る。
そうすると、「自分ではない誰か専用の鎧」に目が向いたとき、「あ、違うな」とわかりますね。
そこに、良い・悪いは存在する必要はない場合が多いと思います。
なぜなら、自分とその人は生きてきた背景が全く違うからです。
とはいえ、ここまでのことは頭では理解できている、という方もたくさんいらっしゃると思います。
ただ、いざ目の前に鎧の形が全く違う人がいると、イライラしてしまう、気になって仕方がない、自分の鎧にはめたくなってしまう・・・
ここで、冒頭の
「人は変わらないから、自分が変わらないとね」
この言葉を思い出してみて下さい。
いかがですか?
「人の鎧は変えられないから、自分がその人の鎧をつけないとね」
という意味で使っていないでしょうか?
捉え方を変える?
一方で、「捉え方を変える」というのは、
自分も、自分専用の鎧をつけたままで、相手も、相手専用の鎧をつけたままで
どのように関わるか?
にフォーカスした言葉なのではないでしょうか?
冒頭でもお話した
アサーティブネス
はまさにこのことです。
相手も、そして自分自身も大切にする。
自分を大切にすると、周りの人も大切に思えてくるから不思議ですね・・・。