
自分にとっての「頼る」を言語化してみる
私は、「人に頼る」ということがとてもとても苦手でした。
「こんなこと頼んだら相手に迷惑じゃないか?」
「頑張ればできるのではないか?」
「断られたら嫌だな」
そんなふうに、感じていたのだと思います。
一方で、頼られたときはどうかというと、
「頼ってもらって嬉しいな」と思う時もあれば、
「ちょっと負担だな」と思う時もあります。
コミュニケーションは相手とのコミュニケーションだけでなく、自分とのコミュニケーションにも気づくことだということは以前もこちらでお伝えしました。
前頭葉と側頭葉のやりとりを認識する、という作業。
「こんなこと頼んだら相手に迷惑じゃないか?」⇨(こんなこと頼むなんてどう思われるだろう…)
「頑張ればできるのではないか?」⇨(頑張れないなんて自分はなんて要領の悪い人間なんだろう…)
「断られたら嫌だな」⇨(やっぱり負担かな?私なら断るかもしれないし…)
私の場合はこんな感じ。
そうです、ベクトルは全部「私」
自分の中の
「自分はこうでなければならない」
「自分は(人として・母として・妻として)こうあるべきだ」
そんな想いがあったのだと思います。
これまで生きてきた中で培ってきた鎧、つまりアイデンティティが「頼る」ことを拒否していたわけです。
私は長女で、弟が二人います。
頼られて当たり前、の生活でした。
よく母に聞くのは、3歳下の弟が生まれる時(入院した時かも)に祖母と私が家で入院に必要なものを準備するのに、私がいて困らなかったこと。
この歳にして、すでに家の中のどこに何があるか知っていたんですね。
もちろんこうして頼られることに喜びも感じていましたし、きっと母も祖母も褒めてくれたのだと思います。
それがいつしか、
「私は頼られなければここにいる意味がない」
「頼られる人間は、頼ってはいけない」
というふうに変化していったのだと思います。
頼ることを選択しない自分をどう感じているか?
頼ることを選択しない自分を、
「頼らなくても頑張れたな」と思えるのであれば、それは自分にも自信が付きますし経験値もアップします。
ただ、問題なのはそうではなかった時。
「なんで私ばっかりこんなに大変な想いをしないといけないの?」
「結局できなかった。私ってできない人間だな」
「あの人に頼っていたらもっと上手くできていたのかな」
せっかく自分で頼ることを選択しなかったのに、それが逆に自分の自信がなくなってしまうような会話が自分の中で渦巻いてしまう…。
こんなに苦しいことはありません。
私はずっとずっと、こんな状態でした。
私個人としても、母としても、妻としても。
もちろん、この自分の中の対話に気付いていればまだしも、ほぼほぼ無意識に、自分で自分を傷つけていました。
「頼りたい」と思ったときにやってみること
今の私と、以前の私を比べて、変化していることがいくつかありますので、ここではそのうちのふたつをご紹介します。
①視点を増やす、ということ
例えば最初の会話なら
「こんなこと頼んだら相手に迷惑じゃないか?」⇨(こんなこと頼むなんてどう思われるだろう…)
👉自分が嫌なのか?相手が嫌なのか?を分けてみる
👉相手が嫌なのは本当か?考えてみる
「頑張ればできるのではないか?」⇨(頑張れないなんて自分はなんて容量の悪い人間なんだろう…)
👉頑張ってできた未来と、頼った未来を想像してみる
👉頑張った未来に自分を責める会話はないか?
「断られたら嫌だな」⇨(やっぱり負担かな?私なら断るかもしれないし…)
👉自分ではなく、相手になりきって考えてみる
👉断られることで、どんな嫌なことが待っているのか具体的に考えてみる
ほんの一例ですが、こんな感じ。
たくさんの角度から物事を見てみる、ということです。
②自分が大切にしているものが何か?よく考えてみる
「頼る」「頼らない」を決めるのは自分です。
では、自分の「何を」大切にしてその決断をしますか?
例えば仕事を部下に頼むかどうかを決めるとき。
「自分の『俺はやれる』を示すために頼まないのか?」(この決断が必要な時もあり)
「部下の育成を優先するのか?」
例えば子どもに家事を頼むかどうかを決めるとき。
「時間を優先して頼まないのか?」
「子どもの『やりたい』を優先するのか?」
自分が「何を」大切に思っていて「何を」守っているのか?
そんなふうに、自分をちゃんと、知る。
ここを諦めないことが、コミュニケーションを学ぶということなんだなと最近感じます。
とはいえ、白黒はっきりできないこともしばしば。
頼ってもやもやすることも、頼らずに失敗することも
きっといつか、自分の糧になると信じることも大切かもしれませんね。
視点を増やすなら、コーチングがお役に立てるかもしれません。