GIVE&TAKE読書会 〜PART5 影響力とは何か?①〜

「言葉は穏やかに、ただし大きな棍棒を持っていけ」

元アメリカ大統領ルーズベルトの言葉だそうです。
普段の生活の中で「ふわっとした印象だけど、芯が強そうだな」と感じる方というのは、そう多くはないように感じます。
つまり、心に大きな棍棒を持っている人は、それを誇示したり、そのまま言葉でも表現したりする方も多いからでしょうか。

今回からスタートしたPART5はこんな言葉からのスタートでした。
「影響力を与えたい」と思った時にまず想像することが「想いを言葉にする」だと感じている方は多いように思います。
もちろんそれも一案ですし、私自身もそういう人に魅力を感じることも多いですし、そういうリーダーだと安心するなと思います。

ただそれは、「そのほうがわかりやすいから」「自分が迷わなくて済むから」など、無意識に自分には責任がない「気楽さ」にもなっていると気付かされることがたまにあります。

このように力強くリードしてくれる人に「あなたはどうしたいのか?」と聞かれる時です。

手を引いて走ってくれていたのに、ふと手を離されたときのような感覚。

「自分は本当にこの道を走って良いのか?」を改めて考え、自分の足でこの道を走るんだと決める瞬間。

自分で走ることの喜びを感じると同時に、自分で責任を取らなければならない不安に包まれる瞬間でもあります。

強気なコミュニケーションとゆるいコミュニケーション

この章では、「強気なコミュニケーション」と「ゆるいコミュニケーション」という言葉が出てきますが、私が思う「強気なコミュニケーション」とは上記のような「手を引いて走ってくれるコミュニケーション」のことではないかと解きました。
もちろん、どちらが良い悪いではなく、ケースバイケースで使い分けることも必要かもしれません。
ただ私はいま、これを書きながら、自分がリーダーとして接する時も、子育てをしている時も、この「手を離す」瞬間は早いほうが良いと感じている自分に気がつきました。

自分の道は、自分で選んで走れば良い。
誰かのリードはなるべく少ないほうが良い。

つまり、「ゆるく」つながることが個人の良さを引き出すことにつながるのではないか?と感じているということです。
となると、「ゆるいコミュニケーション」の要は何でしょうか?

弱点は大きな強みになる

この章で私が一番のポイントに挙げた言葉であり、ゆるいコミュニケーションの要になるものの一つです。
ただ、自分が「弱み」だと感じていることと、相手が「この人はここが弱いな」と思っていることは違うかもしれないですよね。
ここでもまた、「自分を知ること」「メタ認知能力」が重要だということを再認識させられました。

以前「鏡の中のぼく」授業をさせていただいた時のこと。
当時その学校の校長先生は、その年に初めて校長先生になられた方でした。いろいろなお話の中で、「先生が校長先生として一番大切にされていることを伺っても良いですか?」とお聞きしたところ、「自己開示です。」とおっしゃいました。
「自分が自己開示できていないのに、みんながしてくれることはないよね」と。
とても感銘を受けた記憶があります。

自己開示(じこかいじ)
自己開示とは、1971年、臨床心理学者シドニー・ジュラード によってはじめて用いられ、言語という手段により自分自身に関する情報を、とくに意図を込めることなくありのままに伝えることとされる。 ただし、本人が自分自身の姿を正確に認識していない場合も多く、また受け手にもバイアスがあるため誤認する可能性もある。

 ウィキペディア

ただ、このウィキペディアにもあるように、自分の認識、受け手のバイアスというところが大きく影響してくるものだということも改めて感じています。

自分の弱みを知るということは、自分を知っていなければならず、相手から自分がどう見られているか?も知った上で、「相手にとっての自分の弱み」に気づくことにも繋がります。

ここで重要なのは、「受け手のバイアス」が関わってくるということは、「相手によって自分の弱みが変化する場合がある」ということ。

ゆるいコミュニケーションの要である「自己開示」は「自分が相手にどう映っているか?」を理解することがとても重要なのかもしれません。

今日の感想

毎回、本当に濃い時間を過ごしています。
土曜日5:55。
今日は冒頭でとても印象に残ることをお話してくださった方がいました。
「まず、与えられる人であれと言われた」と。
この読書会で使っている本には「与える人こそ成功する時代」という邦題がついています。
この「与える人」について「なんでそんな上からやねん」というところ。
確かに・・・。
ずっと私の中にあったふわっとしたモヤモヤを言語化してくださった気がしました。
そして「与えられる人であること」は、誰もがなれるわけでもなく。
「『与えたいと思われるような在り方』ってなんだろうな」と新たな問いをいただいた、そんな時間でもありました。
いつもは落ち着いてから記事を書こうと思って結局書けないことも多いので、終わってからすぐ、書くことにしました(^^)

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